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2009年1月 4日 (日)

ヤミタイ通信3

ヤミタイ通信3

群盲象を評す

最近、金融危機を伝える情報サイトで、この比喩を「論ずる対象が同じであっても、その印象も評価も人それぞれに異なる」と言う意味や「僅か一部分を取り上げたところで、その事象の全てが分かる訳ではない」と言う意味で、よく目にするようになった。どんな話かというと・・・

鏡面王は言った、「すぐに、象の所へ連れて行ってやれ」、家臣が王の命を受け、この盲人達を象の元に連れて行き手を引いて、盲人に示した。

中には、足を触る者、尾を持つ者、尾の根本を持つ者、腹を触る者、脇腹を触る者、背を触る者、耳を触る者、頭を触る者、牙を触る者、鼻を触る者がいた。

盲人達は象について、各々の見解を争い、自分は正しく他の者は間違っていると収拾がつかなくなった。                                                                                             

家臣は王のもとに連れて帰った。王は、「お前達は象を見たことがあるか」と聞いたが、見たことはないと答えた。王は「象とはどういうものだ」と聞いた。

足を触った者は「大王様、象とは立派な柱のようなものです」と答えた、

尾を持った者は箒のよう、尾の根本を持った者は杖のよう、

腹を触った者は太鼓のよう、

脇腹を触った者は壁のよう、

背を触った者は背の高い机のよう、

耳を触った者は団扇のよう、

頭を触った者は何か大きなかたまり、

牙を触った者は何か角のようなもの、

鼻を触った者は「大王様、象とは太い綱のようなものです」と答えた。

そして、王の前で「大王様、象とは私が言っているものです」と再び言い争いを始めた。

鏡面王は大いにこれを笑って言った、「盲人達よ、お前達は、まだありがたい仏様の教えに接していない者のように、理解の幅が狭いのだね」。      ウィキペティアより参照

「群盲象を評す」のたとえは、否定的な意味として使われる事が多いが、見常者が見える事でわかったふりをして、触るという行為に至らずに知覚の一部を遮断してしまい逆に理解の幅を狭めているとも受け取れる。視覚を遮断した触覚に関する企画は筑波大学にて昨年「暗闇でさまざまな物に“さわる”「触文化」体験ワークショップ」として行われましたが、ヤミ・タイプロジェクトとしても視覚障害者の体験とは違うスタンスで、ぜひ行いたいと思います。

 

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